我らは野良猫である

人生の中で出会うなにか

趣味は仕事

仕事が趣味になった

最近は、「介護という仕事」がとても楽しい。

何が楽しいのかは、相変わらずさっぱりわからない。

わからなくて良いのだと思う。

仕事のことで、人生を振り返ってみると、悩み迷い葛藤を繰り返し、その後には何が好きなのか嫌いなのかを考えだしたり、向いているのか向いていないのかなども考え始める。

そして、結局は答えがでないまま、漠然と慣れていて何となく好きだから、と言った思いで続けていく。

 

要は、ある程度、その仕事を極めていて、慣れていることから向いているとも言え、理由を必要としない楽しさなのだと思う。

 

そもそも、お金が目的で仕事を選べない私は、やってみたいと思ったことが仕事になっている。

今の「介護という仕事」もそうである。

やってみたくて、やり始めたこと。

そして、楽しいと感じられているなら、それはお金がもらえる趣味だと思う。

 

昔から「趣味は何ですか?」と聞かれ「仕事です」と答えられずにいた。

無趣味な人間だと虚しくも感じたけど、今なら堂々と「仕事が趣味です」と言えそうだ。

 

ワーカホリックとバーンアウト

最近、気をつけていることがある。

「ワーカホリック」と「バーンアウト」

日本語的に言うなら「仕事中毒」と「燃え尽き症候群」

 

例えば、「良い趣味ですね」などと誉められそうな、絵を描く、写真を撮るなどの趣味だったとしても、家庭や家族を返り見ないほどや人生の全ての関心になるほどに、のめり込んでいれば、それは「中毒」や「依存」と言い換えることができるだろう。

それでは、健全な範囲を超えてしまっている。

私にとっては趣味の仕事でも、仕事が全てになってしまわないように気をつけることは大切だと思う。

 

介護という仕事は、感情労働と肉体労働である。

なので、心と体に疲労が溜まる仕事だ。

「バーンアウト」にならないように、無意識に頑張りすぎてしまうとか、周りの状況から頑張りすぎないようにしたいと気をつけている。

もちろん、不満や葛藤も感情疲労を強くしてしまうから、注意している。

 

それでも、こんな風に思えるようになるまで、様々な嫌なことがあったけど、よく続けてきたものだと、自分を褒めてあげたくなる。

今はね。あくまでも、今はね。

 

介護という仕事は、今の穏やかな楽しさなど、何かしらの問題から簡単に吹き飛んでしまう仕事だと思っている。