我らは野良猫である

人生の中で出会うなにか

一羽の白鳥に出会えて

一羽の白鳥

偶然だった。

息子と出かけてきた帰り道で、お城を通って帰ることにしました。

たまたま、お城でレーザーマッピングでの豪華な演出をしていたから、見に行くことにしました。

動画などでは感じられない、本物のお城を目の前にして音楽に合わせてのレーザーマッピングは、幻想的で大迫力。

お堀の水面に映し出される「城」の姿と、水面へのレーザーマッピングの演出は素晴らしかったです。

 

圧倒されている状態から、少し周りを見る余裕ができると、お堀の水面が緩やかに揺れている。

それは、小さな生き物たちの動き。

お堀には、たくさんの鯉がいる。

その鯉たちが泳ぐから、水面が揺れる。

鯉だけではなく、お堀には、鴨などもいるが、夜間のその時間には、闇に紛れて姿は見ていない。

華やかなお城とは対照的にお堀の暗闇の世界に、小さな生き物たちの気配を感じることは神秘的な感動を与えてくれる。

 

 

そこへ、一羽の白鳥が泳いでくるではないか。

白鳥は、お城に目を向けている人間たちを眺めながら泳いでいる。

夢中にお城を眺める人間と、それを観察しているかのような白鳥の様子は、人間の方が滑稽に見え、美しく可愛らしかった。

 

少しの間、そんな白鳥の様子を眺めていたら、白鳥が近づいてくるではないか。

私たちや周りの人たちもお堀のすぐ手前にいた。

一歩進んだら、ドボンと落ちる場所。

そんなお堀の外側を白鳥が泳ぎだす。

手を伸ばした触れる位置にいるから、まさしく目の前にいる状況。

間近でみると、真っ白でとても大きい。

触りたくなる。

真っ白な背中を見ていると、乗りたくなる。

近くにいた小さな女の子が「乗りたーい」と言っている。

湖に用意されている「スワンボート」などの発想は、こんな思いから作られたのではいか、とふと思った。

 

白鳥たちが飛来してくる場所は、他の地域にある場所。しかし、その場所でさえ、こんなにも間近で見ることはできないのだから、感動と嬉しい機会でした。

 

しかし、冷静に考えると、この一羽の白鳥は何故、あれほどまでに人慣れしているのでしょうか。

群れで暮らす渡り鳥が、なぜ一羽だけ夜間にいるのか・・・・

昨年の3月にお城を見に行った時にも、一羽の白い大きな鳥がいたんですよね。

しかも、草むらでゴソゴソと枯れ草を咥え何かをしていました。

時期的には、白鳥ではないと思うから、アヒル?

そして、巣作り?

その白い鳥がいる場所には、立ち入れないから、わからないままでした。

 

あの時の白い鳥が、今回見た「白鳥」と同じ鳥だったとしたら、日本から移動せずにお城のお堀に住み着いてる???

 

気になるので、今後調べてみようと思います。

 

死にきれる思いではないけど

前回の日記では、大学進学まで2年間しかない息子と過ごす貴重な時間の中で、一緒に白鳥を見に行くことができずに「死んでも死にきれない」と寂しさでいっぱいでしたが、偶然の機会から、一緒に白鳥を見ることができ、それ以上の感動もあって嬉しいし幸せを感じた時間でした。

だからと言って、これで死にきれる思いになれるわけではないので、これからの時間も大切にしていきたい。

 

私は、息子が中学2年生の時に「親離れ、子離れ」の時期がきたと感じていました。

当時は、秋。

出勤途中の風景を見て感じていたことなのですが、

ススキを見て、一緒に見たかったと涙。

実るりんごを見て、一緒に見たかったと涙。

実際には、一緒に見にくることはないでしょ、と心では突っ込んでいましたけど、かなり感傷的になっていましたね。

 

本当なら、そのまま「親離れ、子離れ」していくはずだったのですが、息子が遠い距離を引越ししてまで、目指したい高校や夢を持ったことで、また親子でピッタリくっ付いて進むしかなくなったんです。

 

そして志望校へ入学し落ち着いた今、当時のように「親離れ、子離れ」の時期がまたやってきたのです。

 

知らない土地、情報がないに等しい難関高校への受験。

ピッタリくっ付いて進んでくるしかなかった。

 

寂しさもあるけど、さすがに自立しろ!と離れたくなっている私がいるのも事実。

2年後、親子でそれぞれの人生をスタートできることを願っています。