我らは野良猫である

人生の中で出会うなにか

三角形の中にいることを意識

娘の思いやり

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娘は成人しています。

店舗受け取りになっていた商品の受取り日だったけど、出かける気持ちになれない私を娘が、お店まで乗せて行ってくれました。

お店の駐車場に着き、普段なら停めやすい場所を選びますが、私を心配して入り口に一番近い場所に停めてくれました。

その思いやりに涙が溢れました。

 

自分が身体的に弱っているのか、精神的に参っているのか、他の理由からなのか、全てからなのか、わかりませんでした。

娘に「この涙は何なんだろう」とふと問いかけました。

娘は「お母さんが、何かを感じているからだと思うよ。それは、私が近くに停めたことで怒っているのかもしれないし、他の何かかもしれない。感情を感じられるようになってきていることは良いことだと思うよ」

自分でもそう感じました。

 

溢れる涙に感情を感じてみる。

娘が私を気遣い、思いやってくれたことが、嬉しかった。

娘の思いやりが温かい。

 

夜、近くの自動販売機へ行った時のこと。

お風呂上がりの少し乾いた髪が、頭を動かした時に揺れる。

その感覚がとても新鮮で心地良く感じました。

 

麻痺させてしまった感情を取り戻し始めているようで嬉しく思いました。

 

三角形の中にいるイメージ

施設での仕事に傷つきました。

引越しをして、上手くいかない人生に嘆いています。

ネガティブな今、

辞めた職場に対して、傷ついた自分は被害者になり、傷ついたからと文句を言い攻撃したくなる思いは加害者です。

引越しをして上手くいかないことも「引越しをしてきて、良かったのか悪かったのか」を考えてしまいます。

その他でも、嫌なのか良いのか、好きなのか嫌いなのか、許すのか許せないのか、などもそうです。

白か黒か、0か100か。

白黒思考になっていることに気がつきますが、今は中間の考えを探すことも難しい心境なので、三角形をイメージしています。

例えば、

被害者、加害者、無関係な人を三つの点にして三角形をイメージ。

その三角形の真ん中にいる自分がいるイメージを作り、どこの点にも入らない真ん中にいることを意識するようにしています。

 

対人関係についても、好き、嫌い、無関係、のような三角形の真ん中。

三角形の真ん中にいるイメージでいると、どこかの点にある思いに囚われないから、心が穏やかでいられるように思います。

 

堕落した生活作戦での効果はあったのか、なかったのか。

ここも「あったか、なかった」になってしまう。

三角形の真ん中にいるイメージで思い返すと、昼夜逆転した中で見た、夜から朝への変化の美しさと、朝の光の希望を思い出す。

考えないで、感じたことだけを感じると穏やかです。

 

このまま、ゆっくりでいいから、様々な感情を取り戻していければいいな、と思います。