我らは野良猫である

人生の中で出会うなにか

夫に会いたい

一粒の涙

夜遅い時間帯に、珍しくテレビを見ていた。

ミュージカルで活躍されている方が、尊敬するミュージシャンを質問された際に「玉置浩二さん」の名前を久しぶりに聞いた。

歳が離れた最初の夫が付き合い始めた頃に好きだったことを思い出した。

懐かしく思い、YouTubeで「玉置浩二さんの曲」を聴いてみた。

玉置浩二さんが歳を重ねた姿に、私も同じように歳を重ね、随分と長い年月が経っていることに気が付く。

玉置浩二さんの姿と最初の夫の姿が重なって感じる。

そして、夫との思い出が、私の心に蘇った時、一粒の涙が溢れた。

夫を愛していた私。

夫に会いたいと思う私。

 

思い出の中にいる夫に会いたくて、曲を聴きながら、思い出の中で必死に夫を探す。

だけど、一粒の涙以上の夫には出会えなかった。

なぜ、思い出の中にいるはずなのに、会えないの?

今度は、会えなかった寂しさと切なさに涙は溢れて止まらなくなった。

 

今の私は、過去の自分と過去の夫に会いたいたがっている。

だから、うまく探せないのかもしれない。

全てが過去だから。

 

やっぱり会いたいよ。

私を愛してた?

私は、愛されていたと感じている。

私は、愛していたと思っている。

 

もう本当にいないんだね。

寂しいよ。

 

同じお墓に入る、なんて古い考えは持っていなかったけど、自分が亡くなった後には夫と同じお墓へ入れてもらおうと気持ちが変わった。

それには、

健康で丈夫な家系だから、誰よりも私が先に亡くなることになると信じて疑わなかった中で、夫の父が亡くなり、夫が亡くなり、2年後に夫の母が亡くなった。

私が一人で生きているなんて想像もしなかった。

そして、今はとても寂しいと感じているし、故郷を見渡せる場所で、自分も安らぎを得たいと思うから。

 

でも、今は一時的な感傷に浸っているだけで、ここから先では、いつものように「お母さんは、森へ返してね」と子供たちへ頼んでいるのかもしれない。