仕事で何が嫌なのかさえ感じらない
施設がブラック企業になったのかな?
介護職員です。
短時間労働で働いています。
介護職員として転職経験はあり、施設によっての違いがあることも知っています。
引越しをしたことで、転職することになり、今の施設で働いていますが、一気に歳を取ったのか、施設がハードするすぎるのか、自分の感情がわからなくて、もはや理解不能に陥っています。
論理的思考は高いです。
考える方が得意です。
しかし、理解ができない状態。
かなり、良くない状態ですよね。
簡単に言うなら、
前の施設は、老後に自分が入所したい施設だった。
今の施設は、間違っても入所したくない施設。
あそこで、死ぬことは避けたい、と思ってしまいます。
シンプルにこれが、今の状態への答えなんでしょうね。
今、働いている施設は「施設」と言うより、会社と呼んだ方がわかりやすい組織になっています。
ある日、突然に「お願いがある」と言葉だけのお願いで、物事を頼まれますが、断ることは出来ません。
「お願い」と言う言葉を使った、命令です。
最近、人が辞めたことに重なり、職員の虐待事案からまた人が減り、かなりの忙しさになっています。
虐待は、暴力でした。
命令は、ムチャ振りとしか言いようがありません。
私は、子供のことや、自分の弱みもある中で、完璧主義者っぽい性格です。
100%を求めてしまう傾向があり、仕事の正確さは落とさずに、気持ちを70%に下げて仕事が出来るようにならないと、長時間勤務は無理があると自覚しています。
ですから、
どんなに忙しく疲れていても、笑顔を絶やさないで仕事ができる時間数を選択してきました。
業務も「人の命を預かっている」と言われていますが、実際には「自分の命もかかっている」と言えます。
事故を起こし、訴えられたとしましょう、私は損害賠償を請求され、仕事を失い、申し訳ないことをしたと深い罪責感に悩むでしょう。
介護の仕事は、命がけの職業です。
むちゃ振りも含め、理解不能な状態で辛いので、本音で書いちゃいます。
嫌だったこと、嫌だと思ったこと
弱ってきていて、食事中に眠ってしまうAさん。
動けないからと放置するのではなく、眠っていまう前に口腔ケアして、トイレ介助して寝かせてあげたかった。
動いてしまう人が優先で、放っておかれているのも悲しかった。
忙しくて、優先してあげることができず悲しかった。
一気に弱って、看取り介護に切り替えられたその日に亡くなってしまった。
介護の仕事をしていると、人の死に対しては、正直なところ深く思うことはないが、Aさんの死だけは、無念に思う。
Aさんが亡くなって悲しい、と言うより、施設側の対応に無念さを感じる。
その他にも看取り介護になっている方や重症者がいるが、人手不足から部屋で放置状態。
どこの施設でも多少は、居室対応になることもあるが、今の施設では、長期的に放置状態が続く。
ベット上で、補水、食事。
「お腹すいた」「人がこなくて寂しいよ」「殺して、生きていたくないよ」と気持ちを伝えてくれる。
心が痛む。
人手不足で忙しすぎて、私も何もしてあげられないことが、悲しい。
中には、話せない状態の人もいるが、話しかければ、うなずくなど反応を返してくれる人もいる。
「一人ぼっちにさせない」と言うことは、職員なら習ったはず。そして、それも虐待に当たると知っているはず。
それでも、人手が足りないからと正当化されている。
私への無茶振りでは、こんなエピソードもある。
面接時に「入浴介助の経験はない」と伝えてあった。ベット上でも入浴時のストレッチャーでも更衣(着る・脱がせる)は同じなので、更衣の方での介助は引き受けた。
しかし、ある日、入浴介助の時間になって突然、教えてもらったことも、やった事もない「身体を洗う方をやって」と言われた。
よく気が付く方だし、勘もいい。
そんな自分を信じて、やるしかなかった。
終わった時には、視界が真っ白でフラつく状態になった。
熱中症だと後から知った。
次の介助時に続けてやらせてくれるなら、覚えていきようがあるが、次にいきなり言われたのは一ヶ月も経ってからだった。
この時は、
「マジで!!!」
「ほんと、嫌なんだけど!!」
と、怒った。
言葉が悪いが、この施設、この位のことを言えないと生き残れない。
そして、また熱中症になりかけた。
3回目は、お願いという言葉と共に事前に言われたから、熱中症対策して挑んだ。
問題なし。
でも、全神経集中させている上、利用者さんの安全の為に介助しているから、自分がずぶ濡れ。
介助用のエプロンなど着けているのに、このずぶ濡れ状態から、いかに無理して頑張っているかがわかる。
むちゃ振りは「レクやって」にも同じことが言える。
月に1度で、もう一人の職員とやる、と聞いていたが、ある日、突然に毎週だと言われ、4回の内、3回は、一人でやって!になった。
内容は、関わりがメインになるから何でも良いとのこと。
放置になれている利用者さんたちは「言葉を忘れたカナリア」みたいだ。
話せるのに、無言。
伝えることが理解できるのに、無言。
この無言の人達をどう引っ張れと?!
入社してすぐ、レクを頼まれる以前から、この無言の利用者さん達が気になって、一人でいろいろと試してみたが、難しいと感じてきている。
前回の「一人でレクやって」の日は、
ネタを考えてきていないのと、状況的に無理そうだと判断していた。
もう一人のレク担当に伝えると「リーダーいるし、風船バレーでもやればいいんじゃない?」と軽く流された。
リーダーは、上司に呼ばれて一時的にいない状況があり、私自身も動かないとならずで、レクどころではなかった。
リーダーが上司に呼ばれたのは、冒頭に出てくるAさんを看取り介護に切り替える、という打ち合わせの為だった。
本当に、連携がとれていない状況・状態が嫌になる。
何が、風船バレーだよ!と思い出すだけで怒れる。
この9時間後、Aさんの呼吸は停止した。
嫌な思いをしてる中には、看護師2名の態度。
一人には、オール無視されている。
職員が近くにいると、小声で「はい」と嫌な返事を返してくる。
息子に話したら「子供かよっ!」と大笑いされたけど、私もそう思ってしまう。
もう一人の方は、粗探しして文句。
突然「人手が足りないから、洗濯してきて!」と怒鳴って指示。
指示通り動いて、現状を報告したら、ブチ切れて、その後に取った態度に驚きすぎた。
ムンクの「叫び」の作品と同じ仕草で、悲鳴のような声を出し、顔を左右に振り、「この人、何おかしなことを行っているの?」と印象付けし、もう一人の看護師を味方につけた。
非言語コミュニケーションを使ってること自体がいじめだとわからないのだろうか。
何かを言おうとすると、遮るために、怒鳴り口調で威嚇してくる。
流れが存在しない言葉を拾うと「私は看護師だから」「介護の職員に頼まれた」「やることなさそうだったから」と言っている。
その日は、ホールに私しかいない状況だったから、お茶などを出しながら、貴重な僅かな時間を使って、利用者さんに歌を歌ってもらうことに成功した。
以前、利用さんがテレビから流れる歌にリズムを取っていた曲を、曲通りだと高音で歌えないから、息子に頼んで、歌える音域で弾いてもらったデーターをiPhoneで再生し、聞いてもらってから歌うことへと繋げた。
その様子が、呑気にサボっているように感じたのが本音だと思う。
仕方ないから聞くだけ、聞いて受け止めてから
「指示されたことについて、報告しただけですよ」と言い返しておいたが「はい、わかりました」と子供のような返事で嫌な思いをした。
これも一例に過ぎず、書ききれない。
しかし、看護師と介護士とで、異業種であるから、毎日関わるわけでないから助かっている。
日々、愚痴はたまる。書ききれない。
キレる職員もまた多い。
イライラが伝わってくる。
それを感じとっている利用者さんも気の毒に思う。
「私たちは、何のために、ここにいるのですか?」
初めて、介護職の世界で感じた原点を思い出せる職場だ。
利用者さんの尊厳は守って、そして自分たちの尊厳も守ることも大切。
怒らないで、手荒いことしないで、失礼なこと言わないであげて。
同じチームなんだから、連携を大切にしようよ。
私だって、みんなと同じで、手が回らない。
愛情をかける時間が作れないんだ。
これらは、言えない思い。
それでも、人手不足で疲弊している職員。
私と同じように命令で動かなければならない現状。
職員から伝わってくる、疲れ、優しさ、愛情・責任感・・・・
私の心は、疲れと複雑な思いから、自分の感情がわからなくなる。
心が麻痺しているのだと思う。
そうしないと仕事ができなくなってしまうから。
今日、仕事から帰り、疲れで二時間ほど眠ってしまった。
悪夢と恐ろしい恐怖に苦しんだ。
もう2度とこの恐怖には耐えられない、と思ったとき、ここへ吐き出すことを決めた。