我らは野良猫である

人生の中で出会うなにか

今度は尿管結石

愚痴日記を卒業したい

今度は、尿管結石です。

以前に働いていた施設での入浴介助は何かと恐ろしく、恐ろしすぎた分、今の施設の入浴介助は精神的にも身体的にも楽に感じます。

そんな入浴介助をまだ新人だし、まだ4回目だから、と意外と楽しく終わった後に、突然背中が息が止まるほどの痛みに襲われました。

姿勢によって強い痛みがでるものの、特定の姿勢などで痛くなるわけではありません。

介護する私が、介護が必要な状態では仕事になりませんし、激痛を放っておくわけにもいかず、病院へ行ってきました。

尿管結石でした。

石は自然に尿と一緒に出るそうです。

以前にも尿管結石になったことがあったので、出るのはわかっていますが、問題は、仕事を休まないとならないこと。

 

入社したばかりなので、休む連絡を入れるのが憂鬱で、何とか仕事できないかと考えていましたが、利用者さんの体を支える時に激痛では危険すぎますし、いつ痛むかと気にしていて、仕事でミスをするわけにはいきません。

なので、休むしかなく、憂鬱な気分で連絡をしお休みしました。

 

仕事のオン・オフができないと悩んでいたら、息子の学校でコロナでた、になり、職場に伝えるか、伝えないかで悩み、今度は激痛で仕事休むか休まないかで悩み、小さな悩みが立て続けに重なり精神的にも疲れました。

 

結果としては、お休みして良かったと思っています。

 

仕事には早く慣れたいです。

そして、このブログに書くことと言えば、悩みと愚痴ばかりの日記を早く卒業したいものです。

自分でも、うんざりするので、さっぱりと削除してしまいたくなりますが、それでも私なりに頑張って歩んだ道のりなので、今はまだ削除できない気持ちが残ります。

 

楽しいことを綴れる日々がくることを願い、今日も悩みと愚痴で終わります。

 

本当は幸せなはずなのに

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悩みと愚痴ばかりと私は思っていますが、本当はそれらは思い込みで、私は幸せなんだと思います。

自分で、幸せすぎる程だと思えないことが最大の不幸なんだと思います。

 

私は、何にも縛られていません。

自分の今日1日を、今日の今の瞬間でさえ自由であり、自由な選択ができます。

そして、人生そのものを自由に選択しながら生きることができます。

 

食べることにも、住むことにも困っていません。

好きな物を食べ、好きなことをして過ごせる部屋と時間もあります。

 

息子は、学年一位の成績で、聡明で明るく楽しい豊かな子です。

親子関係もとても良く幸せだと思います。

 

それなのにどうして幸せだと思えないのでしょう。

小さな悩みや愚痴にばかり気持ちが囚われ、幸せだと思えない心の問題が私の最大の不幸なんだと思います。

 

そんな心の問題は、過去の辛い体験からきていることはわかっていますが、数学の問題のようにはっきりと答えがあるわけではありません。

 

もしかしたら、私は不幸でいなければならないと思っているのかもしれません。

もしかしたら、幸せを信じていないのかもしれません。

答えは、簡単には見つからないでしょう。

 

引越しをしてから辛かった日々の再発かのような、悲しみと傷つきの辛さのこの一年を振り返ってみると、私は、優しい自分を嫌い、現実にある思いやりや愛情を拒否し、感謝しないように多くを拒絶してきたように思います。

 

穏やかで、慈悲深い優しさを持つ自分を悪としてきました。

どうして、この一年でそうなってしまったのかも、きっと答えは簡単ではないでしょう。

 

今は、自分の優しさを「弱さ」としてしまわず、そんな自分を少しづつ認めてあげたくなりました。