時間が必要な時もある
時間が必要な時もある
小さなベランダへ出て、ぼんやりと風景を眺める。
西から吹く冷たい風と太陽の暖かさが心地いい。
ベランダのすぐ下の細い道路を見下ろすと、息子が帰ってくる姿が想像できた。
その時、ふと思った。
子供たちにとって、
私がいる場所が実家であり、私がいる場所が母のいる場所 なのだと。
子供たちが私を愛してくれなくてもいい。
私は子供たちを愛している、私がどう思うかが大切なのだと思えた。
今は、少なくとも娘と息子は私を愛してくれている。
私は、子供たちにとって太陽、とまではいかなくても、必要とされている。
そして、私がいる場所が実家であり、母のいる場所。
そう思えた時に、狭い道路を木の葉がカラカラと舞う。
山は見えても、その下に流れる川が見えなくなってしまっている、と言う何かの言葉があったはずだが、どうしても思い出せない。
今までは、山は見えても、川どころではなく、全く何も見えていなかった事に気付く。
冬に近い季節になってしまったが、木の葉がカラカラと舞う音に気が付けて良かった。
夜になり、お風呂上がりのバスタオルを、顔に当てた時のタオル生地がとても心地良い。
バスタオルの心地よさにさえ感じなくなっていた自分に気が付く。
バスタオルに顔をうずめ、その感覚に心を委ねる。
多くの人は出来ないであろう、息子の為のむちゃな引越しで、心がとてもとても疲れていることを自覚した。
あぁ、暫くゆったりと過ごそう。
心の疲れには、時として時間が必要なときもあるのだと思った日であった。
部屋干しの洗濯物
以前の家では、ドラム式の洗濯乾燥機と、ガスの乾燥機を使っていた。
狭いアパート暮らしになるため、処分してきた。
そして、今は全自動の洗濯機を使い、ベランダへ干している。
ガスの乾燥機だと15〜20分で乾いてしまうから便利だった。
だから、乾燥機がない生活はストレス。
その上、この季節から春まで強風が吹く。
仕方ないから、私の部屋で部屋干しになる。
これが非常にストレスで嫌だった。
しかし、今日の心境の変化が起こった後に、部屋干しの洗濯物を見ると、
息子の洗濯物を眺めながらの生活も悪くないかも、と思えるのだ。
不思議なものだ。
実際、息子が高校生なったら、部屋干しの洗濯物を見て、
「僕のパンツ、そんな所に干さないで」と言われるかもしれない。
そう想像してみると、やっぱり悪くない。
今日という日は、ストレスフリーで、穏やかで幸せな日だったと言える。
明けない夜はない
止まない雨はない。