我らは野良猫である

人生の中で出会うなにか

やっぱり地獄へ落ちるのかもしれない

初めての腫瘍

前回、書いたように、立てた予定をちゃくちゃくとこなしてきましたが、

やっぱり地獄へ落ちるのかもしれない事態になってしまいました。

前回の予定では、

2日目に大学病院の精神科を受診

5日後に職場見学

と、地獄へ落ちないように復活を願い立てた予定。

 

腫瘍が見つかりました。

 

大学病院へ受診した時にシコリ状のものがあることを相談し、形成外科で診てもらうことになりました。

「おそらく、脂肪の塊だと思うから、外来で切開手術できる。しかし念のために検査を」と言われ、本日、外来での切開手術の予定で受診。

結果は、脂肪の塊ではなく 腫瘍 だそうです。

 

大学病院内の別の診療科へ移り、これから検査などが始まっていく予定です。

 

地獄へ落ちない為に「5日後の職場見学」まで進み、本日の午後には「面接」の予定になっていました。

断りの電話をしておきました。

とても残念ですが、何事もなかった顔をして働ける心境ではありません。

地獄へ落ちないために、努力をしてきていますが、さすがにこの「腫瘍」問題には、結果が出るまでは乗り切れそうにありません。

 

もしも・・・を想像してしまいます。

息子はどうなってしまうのでしょう。

頼れる親族はいません。

息子には、この世に私しかいない状況です。

 

本当に地獄へ落ちそうな心境です。

でも、自分としては、かなり良い人だと思っているので、天国へいくのではないかなあ、と、

神も仏も信じない信仰心のない私は勝手に思っています。

 

 

子供への愛情

引越しをしてきてからは、私自身が新しい環境になれない問題を「息子の為にしたことで、それによって自分が辛い」というような自分勝手な感情にもなります。

「人のせいにしているだけ」という本当に身勝手な思い。

そして、同時に深い愛情を持つ。

人は、二つの感情を同時に感じる状態になっていると、とても辛いんですよね。

 

「腫瘍」のことから、息子の今後だけが心配で、息子を守りたい思いだけになりました。

 

引越し前のことですが、飛行機についての招待公演があり出席しました。

子供向けに「プロペラ飛行機」を作る時間がありました。

頑張って作った「プロペラ飛行機」を子供たちが皆で一斉に飛ばしました。

広い講堂を飛ぶ「プロペラ飛行機」が「本当の飛行機」のように感じました。

子供たちは、いつの日か本当の飛行機に乗り、広い世界へと飛び立っていくのだろうと思った時、自然と涙が溢れてきました。

 

このエピソードが引越しを決断した最初の一歩だったと思います。

 

子供にとって「親の家」は、自立していくまでの仮の住まいでしかないと思いました。

子供は「ヤドカリ」に似ていると思います。

親のいる場所を家とする宿、その次には、大学なり自立などで一人暮らしの「宿」

仕事の都合などで、引越しすればまた次の「宿」

結婚したら家族としての「宿」

どこで、最後の「家」が待っているのは人それぞれです。

そう考えると、私にとっては愛着のある家でも、子供にとってみれば「ヤドカリの殻」でしかないなあ、とも考えましたね。

 

そして、子供のいない家で、老朽化していく家と共に歳を取っていくことも嫌だなあ、とも感じました。

自立し、私から離れ、社会へと帰っていく息子と過ごせる時間は残り僅かです。

子供は、社会へ返す存在だと思っている私には、一緒に暮らせること、子供が見せてくれる世界を一緒に見られることは最高の幸せだと思っています。

 

息子に向けた身勝手な思いは、純粋に一緒にいたいと言う一つの感情に落ち着きました。

本能的に「死」を覚悟しているからでしょうか。

 

良性の腫瘍とわかり、新しく一歩を踏み出せる機会になってくれることを願うばかりです。