あめはれ

人生の中で出会うなにか

ムカつく看護師

ムカつく看護師

 

ムカつきながら、4日が経ちました。

4日経ってもムカつくので、ムカつく理由を書いてみようと思いました。

 

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4日経っても、と始まっているように出来事は4日前になります。

子供の受診日で病院で起こった出来事になります。

PTSD的な症状で受診中の子供のことで、主治医から子供の体重の伸び具合いを心配する話がありました。

主治医からは「お母さんが、カロリー面・栄養面と考えて本当によくやってくれているのは十分わかっているけど、成長期だからもう少し何とか工夫できないか?」と話がありました。

私の方からは「気づかれないように、かなり意識してやっていて、これ以上は難しい」と言葉だけは返す。

すると、主治医は「わかっているけど、何とか工夫してほしい」と言われる。

私は、言葉だけは「難しいから無理」と言ってはいても、母親だから当然、主治医の言葉の意味はわかるし、難しいけど何とか頑張ってみなければと、診察室の中で自分を振るい立たせていました。

主治医の方も、私が受け止めて進んでくれると思ってくれているから、きちんと打診してきてくれ、頑張ってほしいと背中を押そうとしてくれていることを感じています。

このやり取りは、子供に対しての主治医と母親の裏事情のやり取りの話なんですよね。

それを、診察室以外で盗み聞きした看護師は、私と主治医が話をしている間に待合室にいる子供の所へ行って

「体重が増えてないから心配。心配だよ。心配・・・」と言うような心配している話を始めて、トドメには「ご飯ちゃんと食べてるの?もっと食べないと心配だよ」と失礼な発言だったらしい。

 

診察室を出て、子供の元へ戻ると涙を流し始めた子供。何があったのかと抱き寄せると、堪えきれずにしがみ付いてきて静かに泣き始めました。

最初は理由がわからなかったから、一旦車に戻り聞いてみると、先ほど書いた内容を看護師に言われたことを知りました。

 

子供には「大丈夫だよ」と20分かけて慰め励まし、落ち着かせてから、看護師へ抗議へ。

 

「体重のことは子供が一番気にしていることです。そしてそれを一番心配しているのは母親である私です。あなたじゃない!今も20分かけて慰め励ましているんです。大変なのは私たちなのだから、仕事を増やさないで下さい」とはっきり抗議したら、その看護師は笑顔で

 

「そんな話はしていないですよ?前回、お腹が痛いと言っていたので、お腹の調子はどうかと聞いていただけですよ?そんなことは何も言ってませんよ?」とさ。

 

子供を信じる?看護師を信じる?の局面になって、一瞬だけ考えた。どう考えても子供が嘘を付く訳がない。

「子供は嘘を言う子ではありません。食べられないのには複雑な原因があるから受診しているんです。安易な発言はしないで下さい」と更にはっきりと伝えたら

 

「ああ、はい、はい」と笑顔で返されました。

 

このデブ、看護師だからと言ってもただの人間で、立場を利用して逃げてる。

そう悟った時に怒りに変わりました。

 

私たち親子が精神科の患者で、自分は資格のある看護師。その立場の違いを使って、私を見下し、自分を正当化して逃げようとすることに本当に腹が立ちました。

子供の食の問題は、単に食が細い、偏食があるだけと言う簡単な問題だけではありません。

フラッシュバックや悪夢などで持っていかれるエネルギー消費は普通では考えられない消費量となりますし、それらに伴って食欲がない状態にもなります。

それ以外にも、回復過程の心の問題からの影響や、生活リズムなどいろんな原因が混ざっています。

私は、体質的に子供の頃から痩せていて本当に嫌な思いをしてきたので、食べられない時の気持ちがわかるからこそ、自分の子供に「痩せている」ことに対して傷つけないようにしてきましたし、逆に「痩せていても大丈夫なんだよ」と安心できるように慎重に育ててきています。

 

上の成人している男の子2人も私の体質を遺伝していて、細くて「大きくなれるのか?」と心配して育てましたが、ちゃんと大きくなっています。

大人だって、夏に暑いだけでも食欲が落ちる人はいます。今、子供には複雑な原因があるから一時的に食の問題が大きくなってしまってはいますが、原因があるからこそ当然に起こる問題とも言えるでしょう。

 

私は、自分が痩せていることで嫌な思いをたくさんしてきましたし、子供を育てる上での知識として最低限の栄養知識は持って育てています。

今も、子供に気づかれないように裏では、きちんとカロリー計算や栄養素を考え、食べれない気持ちがわかるからこそ、食べれそうな工夫をたくさんしています。

体重の伸び具合を心配される子供と2人の食費は1日、4000円を超えます。月に換算すれば、12万が食費です。

これは、家族4人でも食べていけれる金額だと思います。

食材を余らせて傷ませて捨てることはありません。

食費を考えて作った物では、子供は食べられないんです。食欲そのものがないのだから。

食べられそうな物を毎日毎日、選びさりげなく用意しているからこの金額にもなっています。

それでも、今は仕方がないんです。

子供は朝から食べられる子です。だから、朝からカップラーメンと温泉卵とおかしなメニューを出したりします。手抜きのようですが、この一食から、炭水化物と脂質で高カロリーが摂れます。後の二食で、タンパク質、脂質、炭水化物、ビタミン系を考えます。

納豆とご飯では、今の子供にはカロリーが足りないんです。

エネルギー消費の激しい今の子供には野菜中心では栄養不足です。ビタミン類は、肉や魚からも摂れます。

だから、私はこれに果物を使います。ビタミン類と果糖でエネルギー源を摂れるからです。3食で1500〜1600カロリーを目指しています。そしてその他に、おやつにヨーグルトやプリン、スナック菓子、クッキー類などで、プラスのカロリーになるようにしています。

これらだって、飽きて食べたくなるので、毎日置いてある物を変えています。

これらの工夫に子供が気がついてしまえば、プレッシャーを与えてしまいます。気がつかれないようにさりげなく、心もお金も使います。

 

あまりに、今回の看護師にムカついて、娘にポロリと言った途端に

「許せない!〇〇が可哀想だ。陰ながら励まし続けてきたことを無駄にしてくれた」と電話の向こうで泣いていました。

 

ぽろりと言ってしまったとは言え、

私の子供2人を泣かせたことに対して、私は絶対に許せない。

 

この怒りが正当なものか、4日考えている。

自分の中の他の理由から、八つ当たりとしての感情ではないのか? そう問いかけながら4日。

やはり、許せない。

私が抗議した時に、僅かにでも謝罪する気持ちが見えたのなら、ここまで怒らない。

看護師という立場を利用して、嘘までついて自分を正当化しようとしたことは人として許すことはできない。

 

同時に思うのは「看護師だから」と、自分でも勝手に相手を美化して見ていたこと。

立場の違いは尊重しなければならないけど、立場が違っていたとしても、一人一人が別の人間である以上、所詮はただの人間なんだと言うこと基本的なことを見失っていたように思う。

美化してみる必要はない。

 

立場が違う時、相手への敬意は忘れてはならないと思う。しかし人は平等で対等であることも忘れてはいけないと、今回のことは良い気づきとなったと思う。

 

自分の反省はしたけど、あの看護師に対しては許すつもりは今のところはない。

私の何より大切な子供2人を泣かせたから。

しかし、直接はもう抗議はしない。別の方法を取るまで。

主治医は、理解してくれているからと主治医に話して済ませる気もない。

私の子供を泣かせた罪は重い。思い知れ。

 

 

この看護師へ、他人の私が

「年齢的なこともあるし、そんなに太っていては、高血圧や糖尿病、コレステロールが心配です。心配、心配・・・本当に心配。もう少しダイエットした方がいいんじゃないですか?」

と、言ったとしたら怒らないのだろうか?
自分について言われたら受け流せても、子供に言われたならどう思うのだろうか?

 

 

 

言語化できずにブログが書ける訳がない

言語化できていない

 

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久しぶりに日記からと、はてなさんでブログを書き出しましたが、二日書いてみて思ったことは、言語化できていないなぁ、と。

 

自分で、読み返してみると、自分ではそれなりに納得できるんですね。

でも、どこか抽象的な内容になってしまっていることにも気がつきます。そして、前回「依存」について書いてみたけど、私が本当に書きたかったことは「共依存について」

共依存」が「依存」になって終わっていても満足しているのだから、書きたいことが書けていないことに嫌でも気が付きます。

 

言語化できていなから、書きたいことを言葉にして書きあげることができていないと、少々ショック。

 

 

言語化するには

 

誰でも、ごく普通に話をします。私もごく普通に話をします。

では、何が言語化できていないのかと言うと、感情。

感情って豊かにたくさんあります。楽しい、嬉しい、悲しい、辛い、綺麗、美しい、悔しいなど。

そんな感情を、ただ悲しい、嬉しいと感じるだけではなく、その感情の中身を「〇〇があって、〇〇だから、悲しい」と言うように感じ、言葉にできていない状態を言語化ができていない状態だと思います。

 

感情をしっかり感じられていない状態だと、同時にストレスや負担も感じにくくなってしまうんですね。

ストレスや負担を適切に感じられていないと、無理をしていることに気がつかなったり、気が付いていても我慢しちゃったりと実に良くないことばかり。

逆に言うなら、ストレスを感じられていないと、プラス感情も鈍ってくるってこと。

ストレスを感じにくいのは、私ばかりじゃなくて、日本人には多いような気がします。

日本の家庭の中には、古くから家のしきたり、家訓、なんて言葉もあったり、未だに「家の家系は・・」「家の家族は・・」と一括りにして押し付けてくる。田舎だと「先祖代々のなんちゃら」がくっ付いてきて縛られて育つことになる。

親と違う気質を持って生まれてきても、親やその家系的な考え方は尊重されて、生まれた子供の気質は尊重されないのだから、抑えつけられて育つ過程でストレスなんて感じていたら生き残れませんよね。だから我慢や耐える力が付いてしまっている。

よく「日本人は我慢強い」って言われる意味が何となくわかるような気がします。

 

現代になって、自由に楽しく生きればいいよ、って言われても、そもそも育つ土壌にこの押さえつけがあるから難しいのかも知れません。

 

言語化できるように感じることを増やす為に私がやっていることは、

「ストレスをノートに書き出すこと」なんです。

何となく辛いな、何となく嫌だなって感じることをノートに具体的に書き出していくんです。

 

例えば、最初に聞き出した頃は

部屋が散らかっていること

子供がうるさい

気が乗らない

と、一言だったのが、言語化できるようになると「部屋が散らかっていること」の一言が、

面倒くさくて、片付けできていないからストレス

となる。こう感じられれば、面倒くさくても片付けさえすればストレスとはバイバイできる。

 

何やってるの?と思われるだろけど、これが効果大。

ストレスを適切に感じられるようになると、不思議なことにプラス感情も感じられるようになっていくんです。

最初は、プラス感情を感じられるようにと考えていましたが、これだと上手くいかなかったんです。先読みして、どうせやっても・・・って考えて行動に移すのが難しい。それで、自分に掛かる負担や不満を感じるようにと始めたことが、自分にはとても良い結果になりました。

 

感情を感じられるようになると、自然と自分の考えがよりはっきりと持てるようにもなるし、効果大でしたね。

そんな地味な作業をコツコツこなしてきた訳なんですが、どうか調子にも乗りやすい。

効果大に満足して、書き出すことをやめてしまっていたら、またストレスを感じにくくなっていること、それに伴って言語化できていない状態に少し戻っているようです。

それに気が付いたからにはと、昨日からまたノート作戦を始めています。

 

 

言語化以上に大切なこと

 

言語化ができるようになれば、ブログを書くときに具体化された言葉で表現できますよね。これができなければ、伝わりにくい文章になってしまう。

でも、文章云々より大切になってくると思うのは、生きる上でのエネルギーだと思っています。

 

熱意のある人に人はついてきます。

真心の込もった言葉に優しさを感じます。

たった一言から、動かされます。

 

これらに、込められいるのは全て感情です。

私は「人は感情の強さに動かされるもの」だと思っています。

 

仕事や何かを始めるにも、強い感情のエネルギーが必要です。その熱意(感情)を感じ、周りは付いてきてくれるものです。

少し前になりますが、高校1年性が言った「諦めちゃダメだよ」の一言に突き動かされたことがあります。

何気ない言葉に取れますが、私にはその高校生が「自分は諦めずに頑張った!だから出来たんだ!」と彼の努力とそこにあった過程の思いが、その一言に伝わってきたから、突然のごとく突き動かされたんだと思います。

 

今は、まだ言葉になりませんが、自分の感情(思い)から人へ影響を与える人でありたいし、逆に人の感情(思い)をキャッチできる人で在りたいと思うから、地味作業のノートからまた始めていきます。

 

 

ネット依存をどう考えるか

ネット依存をどう考えるか

 

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ネット依存と聞くと、どのような状態を想像するのだろうか。

単純に「ネット」へ「依存」している状態であるわけだが、これが特別な状態のなのかと言えば、決してそうではない。

 

依存しなければならない心が問題で、たまたま依存したものが「ネット」だった、と言うだけである。

 

依存症と呼ばれるものは、ネットだけはない。

アルコール、薬物、異性、ギャンブル・・・依存しているものが違うだけで、依存しなければならない心の状態は同じであることに気がつかないだろうか。

 

依存状態をわかりやすく例えるなら、

ダメな男に、しがみつく彼女さん。

夫頼りで、夫の言いなりの奥様。

これも、同じように依存した状態である。

 

人は誰かに頼っている状態が楽なのだ。誰かを頼り、誰かの言いなりの状態はとても楽なもの。自分で考え、自分で行動しなくて人任せでいいのだから。

この根底には、自分で自分を支えられないことが問題となっている。自分で自分を支える、それは自分の考えを信じ、自己決定し、自分で責任をとる。自分で自分を認め、自分で自分を褒め、自分で自分を成長させる。

これらができる自分という存在が育っていないと、誰かや何かに頼らなくてはならなくなってしまう。

これが、依存症の根底ではないだろうか。

 

子供は親に依存して育っていく。まだ自分で自分を支えることができないからである。

子供の心が育ち、子供の自分と言う存在がはっきりと育ってくれば、親を頼らないくていいのだから、自然と精神的に自立していくものである。

 

しかし、自分と言う存在が育っていないままでは、やがては「ただうるさい親」から離れるだけで、他の誰かや何かに依存して生きていくことになる。

その結果が、ネット依存であり、その他の依存状態となるわけだ。

 

ネット依存の根底の問題は、依存しなければならない心が問題なのである。

 

 

依存はダメなものか?

 

依存がダメなもののように書いてきているが、決してそうではないことも伝えたい。

人は、誰もが依存心を持っている。それがむしろ正常な状態である。誰しもが、誰を頼ったり助けてもらっている、そんな当たり前のことを、言葉を変えるなら依存である。

自分が落ち込んだ時、誰かに励ましてもらいたくなる。これも当たり前のことである。しかし、言葉を変えるなら依存とも言える。

非常にわかりにくい説明になっているが、これが依存の正体だと理解してもらえるだろうか。

 

依存は、人として当たり前の状態であって、決してダメなものではないことを伝えたい。

 

ただ、この依存心が強いと、誰かや何かの依存症となってしまうのである。

 

 

依存状態から抜け出す為に

 

自分で自分を支えられるように、自分の心を育てることしかない。

子供がネット依存しているなら、子供が自分で自分を支えられるように、その心を育てて行くしかないだろう。

自分の考え、感情を信じ、それらを基準に生きていけれる自分と言う存在を育ててあげることが大切だと強く思う。

 

ネットやゲームがいけない訳ではない、そこへ依存しなければならない、心が問題なのである。

 

しかし、実際には親自身が依存傾向が強く、親自身の自分と言う存在が育っていない人が多い。

夫頼りにして、自分の職場さえも「夫に相談しないと」と決められないようでは、子供の精神的な自立心を育てるのは難しいだろう。

子供が起こす問題を「夫に相談しないと」と考えているようでも、当然難しいだろうと思う。

「ママ友が・・」「周りの人は・・」と他人を気にしている人にとっても難しいだろうと思う。

 

親がどうであれ、子供はまた完全に別の人間である。

だから、別の人間である子供自身によって育っていく場合もあるだろう。

 

ここでは、子供の話続きで親を持ち出してきているが、結局のところ大人であれば、自分で努力して自分を育てるしかないのである。

 

 

ネット依存が問題となること

 

人の生き方は自由である。ネット依存したままであっても、それはその人の生き方であるから、その生き方を否定するつもりはない。

しかし、依存しなければならない心の状態だと、現実世界での喜びを感じ、知っていく機会に欠けてしまうので、とても勿体無いことだと思う。

 

人は対等である、と言う感覚

柔軟性、発想力

物や物事をみる力

自己主張する力

共感性

自分を肯定する力

 

これらにも欠けてしまうのも、非常に勿体無いと思ってしまう。